SSブログ

防潮堤問題を考える。議論のスパンが異なる! [東日本大震災の裏話]

スポンサードリンク




被災者は行政が提示した防潮堤案を容認し、被災しなかった人や第三者は膨張提案に異議(ほとんどが高すぎる)を発してしる傾向があることを前述しましたが、そもそも、それぞれの意見には考えているスパンが違いすぎている、という感じがしてなりません。

東日本大震災から3年半が経過し、独自再建、災害公営住宅や防災集団移転事業に申し込み、恒久的な生活再建できたのは、まだ数割しかいません。
未だに多くの被災者が仮設住宅(みなし仮設含む)や仮住居で我慢し、永住の場所に移ることを首を長くして待っているのです。

防潮堤の高さがシミュレーションによる危険区域の設定に影響し、危険区域には住宅建設が制限されることから、今更、防潮堤の高さが見直しされ、危険区域が変動し、生活再建の道筋に影響なんかあったら、とんでもない!ということになるのです。

被災者の高齢者は、『何とか生きているうちに、仮設から脱出し、永住の家に住みたい!』と、考えているスパンは、ごく短いのです。
その願いさえ、叶えることができず、亡くなっていく高齢者も多くいます。
私だって、あと30年生きるかどうか・・・。
考えるスパンは、その生きている間に・・・。が優先されてしまうのです。

ところが、第三者には言わせておけばいいのですが、被災地の中で、被災していない人々が、『将来』を語り、あたかも防潮堤が悪者のように批判し、正義ぶっている姿をみると、被災者には違和感を覚えるのです。

守る物(最低限、人命と住宅)がないなら防潮堤は要りません。しかし、その防潮堤がある前提で、安全で安心な住宅を再建し、生活していかなければならない被災者の実情は分かってもらいたいものです。

将来について全然、気にしていないか?というと違います。
箱物公共事業が悪者扱いされていた時期からは逆行している状況からは自然破壊や老朽化などの問題のリスクだってあると思います。
今になって真っ向に分かれている諫早湾干拓事業の結末のようにならない保証はありません。
被災者は別にコンクリートの防潮堤だけにこだわっている訳ではありません。
それ以外の方法でも、同じようなシミュレーション結果で、安心・安全な生活再建が保証されれば前で進めることができます。

スパンが異なったままで議論だけするのではなく、被災者の事情をも勘案し、迅速で安全・安心な生活再建を推進する前提にて、将来、負の遺産にならないように知恵を絞っていく、すり合わせが必要なんだと思います。







スポンサードリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。