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サラリーマンは温室育ち [サラリーマンと個人事業]

個人事業者になって思うことは、サラリーマンを植物の育成環境に例えると、『サラリーマンは温室育ち』というのがピッタリの表現ではないかと思っています。

とにかく、安定感は抜群ですね~。
会社(温室)は外的環境変化(景気、市場動向、損失)からサラリーマンを守ってくれます。
景気状況は収益状況などから会社が傾きかけたとしても、多少生育(給料)は悪くなったとしても、会社が潰れるところまでいかない限り保証されています。

逆に好景気、増収・増益になったとしても、景気の荒波(変動)を乗り切るために、内部留保(会社に貯金)したり、更に収益を上げるために投資したりと、その増益分が全てサラリーマンに還元されることは少なく、多少、ボーナスや昇給に反映される程度です。

結果的にサラリーマンは『安定した皆同じような規格の生育』保証されているわけです。悪く言えば、『面白みに欠けるどんぐりの背比べ』ってな感じでしょうか?
そして、温室に守られているので、免疫力が低下しているんです。
ちょっとした事(パワハラ、セクハラなど)でストレスを感じてしまい、病気(うつ病など)になってしまうのです。

個人事業者として外に出た以上、自然環境(雨風暑寒)に負けない免疫力をつけ、たくましく成長しなければならない!と言い聞かせています。
それが本来の生き方のような気がします。

親父の不安定な家業がイヤでイヤで、安定したサラリーマンになりましたが、第二の人生は親父と同じ個人事業者として自然環境に打ち勝っていきたいと思っています。



サラリーマンと大震災(3) [サラリーマンと個人事業]

私の話に戻ります。
未曾有の大震災を受け、その後の人間模様や人間関係を目の当たりにし、『あ~、もうサラリーマンは無理だな。』との感情に襲われました。

今、考えれば現実からの『逃げ』だったのかもしれません。
しかし、
◎ 組織という人間関係を中心として仕事ではなく、個人重視の仕事をやってみたい。
◎ 微力であっても、直接、復旧・復興に貢献する仕事をやってみたい。
という思いがどんどん強くなり、いつのまにか退職届を出すタイミングを探っていました。

私にその思いにさせた一番の要因は『資金』に見通しがあったためです。
長年のサラリーマンの継続によって、ある程度の退職金とそれなりの預金があり、自己資金にて起業できそうな見通しがあったのです。

何をするかを決めずにサラリーマンを卒業してしまいました。
それでも、長年、サラリーマンを続けた恩恵というか、それなりの失業保険がおりたので、当面の生活に不自由ななく、表向きは求職のスタンスを見せながら、第二の人生として何をするかを模索していました。

半年ほど失業保険にお世話になりながら、起業の準備をコツコツと勧め、観光・サービス業を開業することができました。
社長兼従業員、即ち一人事業のスタートです。
何から何まで一人でやらなければなりません。
地元の新聞に広告を出し、事業を認知してもらいながら第二の人生のスタートを切ったです。

今考えれば、サラリーマンという温室育ちが、雨風があたる厳しい自然環境に移植された状態になった感じでした。




サラリーマンと大震災(2) [サラリーマンと個人事業]

震災の被災者において、人生が大きく変わってしまった人は沢山います。
私は自分の意思で第二の人生を歩もうと決意しましたが、そうではなく、外的要因・圧力により変わってしまった人も多くします。

被災地はバブル崩壊後、過疎化が進む地域がほとんで、当然ながら仕事が少ない、仕事があってもパート待遇や労働条件が過酷だったり、多くは労働者側からすると満足できる労働環境ではありませんでした。
そのような中、多くの零細企業が津波でダメージを受けたのですから、そこで働く従業員の明日は容易なことではありません。

店、工場が流され仕事がなくった・・・。
結果的に解雇です。
しかし、解雇の仕方にも会社(使用者側)の本心・本音の違いにより、従業員の感情は様々だった様です。

何とか再開、再雇用できるようにするから、それまで(解雇による)失業保険で食いつないでもらいたい。
そこまで言い切った会社は、従業員との信頼関係は崩れることは少なかった様です。

しかし、多くは、見通しについて何ら示さず、解雇通達する会社が多かった様です。
会社にとっては仕方ない面もあるんです。
何せ、行政の助成や支援なども未曾有の震災以降でははっきりしない状況が続いたので。
しかし、そのような会社の中で、パートでの待遇や過酷労働だったりしたら、従業員は再開したって絶対戻って来ませんよね。

震災から2年も過ぎると、復興特需によって一部の業界はバブル景気のような状況です。
被災地の求人倍率は軽く1倍を超え、労働者が不足の状態が慢性しています。
多くの被災者は暫定とは分かっていても復興関連の待遇が良い仕事を求めます。

結果的に解雇の段階で信頼関係を保てなかった会社が再開を果たしても、元従業員は戻ることはなく、従業員不足が続くというお粗末な状況が見受けられます。

(つづく)



サラリーマンと大震災(1) [サラリーマンと個人事業]

2011.3.11 サラリーマンだった私に予想をはるかに超える東日本大震災が起こってしまいました。
正直、思い出したくありません。
被災地、被災者と一言ですますのは一番きらいです。被災地の被災状況は場所や地形により異なりますし、被災者の被災状況はそれぞれ異なります。
被災地でも。全然被害がなく、被災者にならなかった方も沢山います。
逆に住んでいる家や家族を失った人、家は無事だったが家族を失った人など、被災者によっても被災状況は様々です。
詳しくは話しませんが、私も相当なダメージを受けました。

私の働いていた会社の事業所は地震の多少の被害がありましたが、甚大な津波の被害は免れました。
とは言っても、ライフラインや道路・物流の寸断などで、震災前の状態に戻るまでに数ヶ月の期間を要しました。
津波で流失した会社や事業所に勤めていたサラリーマンはあっさり解雇を言い渡され、会社を去る人が沢山いました。
まだ、私は事業所が残ったので良い方でした。
辞める必要はありませんでした。

しかし、未曾有の大震災が起こった後に、様々の会社の様々な人間模様を見てしまったのです。
会社の存続、利益確保することだけに執着した経営陣、会社に残るためにパフォーマンスする人、この気に評価を上げようとパフォーマンスする人、何もしない人・・・。
究極の状況 に追い詰められると、人間って本心、本音をさらけ出してしまうものなんですね~。


(つづく)

サラリーマンの実績 [サラリーマンと個人事業]

私のサラリーマン人生の成績としては、5段階評価の4位の成績ではなかったと思っています。
バブル期の前に正社員として入社し、20数年のサラーリーマン人生は順調だったと自負しています。
10万円程度の初任給は○倍に跳ね上がり、家を新築することもでき、退職時には小規模ながら一つの事業所を任される立場にまでなりました。

この順調なサラリーマン人生は私の能力でなれたのではなく、運的な要因の方が大きかった様に思えます。
まず、自分の性格や能力にマッチングした仕事を与えられたこと、そして何よりも人間関係に恵まれたことが一番大きかったと思います。

直属の上司が理想の方で、私を信頼してくれ、また、私もその上司のようになりたいと切磋琢磨できたのです。
若い時は無理もきいて、自分のため、家族のため、会社にためと、月100時間を超す残業も平気にこなしていましたね。
実績を残すと評価してもらい、地位と給料が確実に上がってきました。
当時はまだ年功序列の風習にて、サボっていてもそれなりに昇給しましたが。(笑)

バブルが崩壊したころから、地位的に管理者の立場になってくると、労使の間に入って、自分の能力に反するプレッシャーや指令を受けることが多くなり、リストラを施行せざるを得なかったり、正社員の採用をパートの採用に変更したりと、ストレスが増していきました。
そして、家庭は家族に任せっきりになり、会社のために働いている錯覚さえ覚えました。

それでいても、定年までサラリーマンを全うし、定年後の余生を楽しく暮らすことを考えていました。
やはり、サラリーマンは安定しているんです。(自分にマッチングしている前提ですが)
家庭は多少犠牲にしても、家族の生活を安心して守るには、ある程度、終身雇用を保証しているサラリーマンは魅力でした。

しかし、東日本大震災で被災し考え方が変わりました。


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